強い人間になることは目指すものではない

このブログの感想に、
「私も強い人間になりたいと思います。」
と書いてくれる人がいるんですけど、
これって考え方の順番が逆だと思うんですよね。

人の”強さ”とは具体的な高みに到達しようと
もがく者がそこへと向かって悪戦苦闘しながら
試行錯誤する過程で、いつのまにか成長し、
結果として知らぬ間に手にしているものです。

知らぬ間に手に入れている、
というのがとても重要で、したがって
”強い人になりたい”と言っているうちは
その人は決して強い人になることは
ないと思いますよ。

なぜかと言えばその人がイメージする
”強さ”のひな形みたいなものに自分を当てはめてみて
合致しているか合致していないかでもって自分を
強いか弱いか、判断しているから。

そんなひな形を思い浮かべたって、
あなたが変わることは決してないでしょう。

心折れて、「自分は弱い人間だった」
と自責の念に駆られるだけです。

自分が強いか弱いか、
なんてことは置いておいて、
目標と現在地の乖離を埋めていくことに
集中したらいいと思うんですよね。

これと根本的によく似た発想だな、と思うのが
「どれくらいやったら成功できますか?」
というような質問です。

どれくらいでもやったらいいと思いますよ。
成功するまでは。

こういう質問って
いかにも偏差値教育の賜物というか、
”○○点を取れば合格ライン”みたいな
与えてもらうことになれ過ぎた人の発想です。

この発想そのものが成功から遠ざかる要因
であることに気づかない人が多すぎます。

この発想に似ているものを
もうひとつ思い出しました。

借金嫌いで、お金が貯まってからでないと
物を買ってはいけないと思い込んでいる人。

そして
「私に○○円の貯金があったら、○○が買えるのに…。」
という妄想ばかりしている人。

四の五の言わずに今すぐ借金して買えばいいと
思いますけどね。そんなに重要なものだったら。

今日挙げた三つの例は
全部根本的に同じ考え方の癖を言い表すものです。

・強い人になりたい。
・成功するにはどれくらい努力したらいいですか?
・私に○○円の貯金があったら、○○が買えるのに…。

これらがどうして根本的に同じなのか、
その詳しい解説は今日はナシです。

苦しんで苦しんで考えて
あなたなりの結論を出してください。

 

 

 

岩熊権造