詰め込み教育じゃない教育とはなにか?

私、岩熊は常々メルマガで知性を向上させる
ことの邪魔になっているのが詰め込み教育だと
語ってきました。

 

詰め込み教育に対する批判というのは今40代
前半の岩熊が小学生の時代にはとうに存在
していました。

それが今の今まで改まらなかった最大の理由は
「詰め込み教育じゃない教育」というものが
どんなものかイメージがつかなかったから
でしょう。

 

「じゃあ、詰め込み教育じゃない教育って
なに?」と問われれば、第一には発信を
させることです。

 

詰込み=知識のインプットオンリーなやり方
と考えるならば、発信=アウトプットの訓練も
同時にしていく必要があるでしょう。

 

人は何かをアウトプットしようとする時に
初めて無意識でやっていることを意識化する
チャンスを得ます。

 

詰め込み教育と日本人がこれまで従順に社会に
奉仕してきた流れとはおそらく密接な関係が
あります。

アウトプットを普段の生活から訓練していない人
は圧倒的に情報に対して受け身になりがちです。

 

私が普段から指摘している「無意識で生きる」とは、
つまり情報に対して受け身な状態なのです。

 

当然の流れとして権威のある人や機関が発表
したことを”悪気なく”無批判に受け入れて
しまう。

 

そして、権威づけされていない情報を悪気なく
不必要な情報としてシャットアウトする。

 

教科書に書いてあったから”正しい”。
本に載っていない内容だから”疑わしい”と
いうように。

 

以前に私はメルマガで食べログを見ないと飲食店
の料理が美味いか不味いかを判断できない人の話
を書きましたが、これも同じです。

 

全ては教育の在り方から生まれた構造的な結果
なのです。

 

ところが、
そんな日本の行政も長引く国力の停滞(=相対
的な衰退)を受けてどうにか教育を改革しよう
と批判にさらされながらも四苦八苦して
きました。

 

ゆとり教育もそうだし、脱ゆとり教育もまた
しかり。

 

今度また文科省は2020年度に大規模教育改革に
乗り出します。

 

今度の教育改革では「主体的・対話的で深い
学び」を取り入れようという運びになって
います。

 

ちょうど岩熊が何年もかけてやってきたことが
子供たちの新しい教育のテーマになろうとして
いるのです。

 

つまり、国が今からやろうとしていることは
脱・詰め込み教育なのです。

 

おそらく効果が出るまでに何十年かかかると
思いますが、それでもやらないよりは明らかに
マシです。

 

一歩前進には違いありません。

「深い学び」とありますが、これは知識以外
の部分です。つまりは知識と知識との間に
横たわる法則やストーリーを導き出す知性の
ことです。

 

これが「詰込みじゃない教育」の第二と
言ってよいでしょう。

 

詰め込み教育に慣らされすぎた人は、知識を
吸収すると、次のステップにまた別の知識を
吸収することしか思いつきません。

 

向上心を資格取得へもっていきたがる人が
多いのはこの影響が少なくありません
(資格の勉強自体がすべてダメだと言っている
わけではありません)。

 

「知識を得たら次の知識」というやり方しか
できない人の場合、個々の知識同士が法則や
ストーリーでつながっていないので、自分から
何かを生み出す知性はまるで発揮できません

 

知性って知識と知識との間に存在する法則や
ストーリーを自分なりに見つけ出した先に
見えるものだから、詰め込み教育では発芽
出来ない人が多いのです。

 

逆に物事の個々の知識が法則化された形で脳内
にまとめられていると、今度は法則から新たな
事象の発生を予測することが出来るのです。

 

仕事をしていても上からの細かい指示がないと
動けない人が多い理由は知識ではなく知性を
発揮できていないから。

 

同様に、異性と交際するにしても相手が常識に
沿った行動をとれるかどうかだけでしか判断
できない理由は知性を発揮できていないから。

 

「知性を発揮できていない」って言われると
”バカ”って言われるみたいに感じるかも
しれませんが、私が言いたいのはそういうこと
ではありません。

 

人として持って生まれた能力を使えば
ポテンシャルを発揮できるのに「個々の知識の
法則化」という発想自体を教育されていないが
ために発揮できていない状況を憂いている
のです。

 

しかし、私のメルマガをここまで読みつづけて
いるあなたはその類の憂いとはやがて無縁に
なっていきます。

 

なにしろ、私のメルマガでは脱・詰込み教育
という時代の先端の先取りをしているわけ
ですから。

 

このことに気づいている人と気づかない人との
間で二極化が始まるはずですよ。

 

若者はどんどん自分の頭で考えて、物を視て、
法則化して…ということが出来る人が増えて
いくのに齢を取った人たちは相も変わらず
誰かが正解の鍵を握っていると信じつづける、
という悲惨な二極化です。

 

今の30代~40代が一番危ないですね。

 

新たな教育方針で育つ層と齢は近いのに受けた
教育が古いというのが一番危ないのです。

 

それより古い世代はもう相手にすらされない
という時代が必ずやってきます。

 

「老害」というと言葉はすごく悪いですが、
私たちの世代は一番この言葉で下の世代から
罵倒されかねない危険なポジションにいます。
こんなことにならないようにするためにも、
是非今のうちに対話や人間理解という、最も
とっつきやすいテーマから知性を磨き上げて
いっていただきたいと思います。

 

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