【生き方】私には人に与えられるものなんかない

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ここ数日の私は愛とかエゴだとかに
こだわった記事を書いていて、
まだまだ書き足りないような気がするので
その流れは今日も続くことになります。
私は婚活面談で時折
「何か他人に貢献できそうな
ことはありませんか?」
「何か人に与えられるものはありますか?」
なんて質問を投げかける時があります。
まぁ、こういうことを私が聞くときには
他人(主に男性)に対する不信感で
いっぱいの女性に対してです。
そうすると判で押したように
同じ答えが返ってくるんです。
「私には人に与えられる程のものなんかない」
って。
本心には聞こえないんですね。
こういうの。
じゃあ、そのくせ人から奪われることばかり
気にしているアナタは一体なんなんだ?
と聞きたくなってきます。
いや、実際聞いてしまいますが。
奪われることを恐れるということは、
そのものに価値を感じている証拠です。
奪われて困るものを
無価値だと考えているわけがないのです。
じゃあ、人に与えられるものを、
ちゃんともっているじゃないですか(笑)。
ここで
「自分は価値を感じてはいるけれど、
他人は価値を感じないかもしれない」
という反論を試みる人がいるかも知れません。
そういうものは
与えてみて受け取ってもらえなかった時に
気づけるのであって、実際やってみたら
分かることなんです。
受け取ってもらえないんだとしたら、
やっぱり何も失わないわけで、
その時こそ本当の意味で人に与えるものが
ないか、あるいは自分が持っているものの
価値に気づいていないのだという
可能性があります。
そうやって突き詰めて考えると、
他人に奪われまいと必死になっている
ものこそが唯一他人に与えることが
可能なものだということに
なります。

なにしろ、それ以外のものには
他人にとって価値があるものだとは
気づかないわけですから。
気づかないものは与えようがない。
だからそのことについて考えなくても
いいんです。

守らなきゃ、奪われないようにしなきゃ、
と必死になっているものこそ、他人に
提供可能な価値なのです。

愛というのはそうやって必死に奪われ
まいとする自分もそれを欲する他人も
俯瞰してみて、その上でやっぱり
提供してみる行為を指すわけですけれど、
これをやることを拒否してしまうと、
その人に残るのは人から与えられるのを
待つことだけってことですね。
いつまでたっても状況がかわらない
という人は、一番身近なところにこそ、
その解があることに
少しでも早くきづいてください。
奪われようとしているものにこそ、
与える意味があるんです。
無償である必要はありませんから、
その点だけご注意を。
岩熊権造
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