過去の過ちが苦しいと思ってしまうとき

”黒歴史”という言葉があります。

かつての自分の至らなさを笑い話に
するための魔法の言葉ですが、
人が”黒歴史”という言葉を使うのは、
「あのころに比べると、今はイケてる」
という前提があってのことだと思います。

しかしその前提の危うさは、
「今後はもうそんな事態には陥らないけどね」
という謎の自信が見え隠れしている
ところにあります。

私には、
人生とはそもそも”黒歴史”ではないかと
思うのです。

いつも
これがベストだ、
それはカッコいい、
あれはすてきだ、
と思うものがあって、
しかしやがてそれらは陳腐化したり
役目を終えたりして輝きを失っていきます。

そうかといって、
かつて自分がいいと思ったものや自分の過去を
覆い隠して生きていくことに何の意味が
あるでしょうか?

かつての自分の判断や、
かつて自分が好んでいたものが
至らなく思えるとしたら、それは
あなたが成長している何よりの証では
ないですか。

逆に、
かつての己の発言が今も輝いて
聞こえるのだとしたら、あなたはその時間軸から
一歩も成長していないのかもしれません。

成長を繰り返す人ほど、
”黒歴史”は積み重ねられていくはずです。
そして、一生成長し続ける人にとっては、
人生そのものが”黒歴史”になっていくはずです。

だから”黒歴史”を持っていることは
素晴らしいことなのです。

現に私も、数年前に自分が書いた記事を
至らなくも感じますし、深みが足りないとも、
未熟とも感じます。

でも、毎日ブログをアップするときには、
自分で読んで感動することさえあるのです。

「ずいぶんいい記事書いてるなぁ」、と(苦笑)。

私はそれでいいと思っているし、
だからこそかつて書いた記事もそのまんまに
してあります。

完璧であろうとするのは、
現在の自分の力量を過信した傲りなのであって、
我々にできることは、現時点でベストだと思える
何かを表現していくことなのです。

そして、かつての自分のベストを乗り越えようと
し続けることです。

とりあえず何かを目指し、恐れず失敗し続けましょう。

あなたが黒歴史を積み重ねる人生を送る限り、
人生を終える頃にはきっと充実感でいっぱいに
なっているはずです。

 

 

岩熊権造