【生き方】自分を公的な存在として捉える

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この記事は2016年2月11日に公開したものです。

今日の記事は前回のつづきです。

視野の広い思考を身に着けようと

書きましたが、その一番の近道は

自分が私的な存在であると同時に

公的な人間であろうとすることです。

公的な人間であろうとすることは

考え方としては比較的容易で、

仕事に対して参加意識を持つことです。

「そんなの私は出来てる」と思う人も

いるでしょう。

しかし、私の言う”参加意識”とは、

単に会社などの組織の末端の存在として、

末端なりの仕事に対して

「言われたことはやる」

程度の責任を持つことではないのです。

末端から見える景色なりに

組織全体のことを考慮に入れて仕事に

取り組む姿勢を意味しています。

いくら大きな会社に入って仕事をして

いようと、仕事に対してそういう姿勢で

参加しない限り、男女を問わずあくまでも

”私的な”存在でしかないし、

私的な存在である限りは責任ある仕事は

もらえないし、受け取れる情報も制限的な

ものでしかないし、結果としてとても

自己評価の低い人生を送ることになります。

「なにを頑張っても、ムダ。」

「一生懸命やることに、意味なんかない。」

こういう仕事に対する自己評価の低さが

婚活への動機へと直結しているケースを

私はたくさん見てきましたが、結局の

ところ、自己評価への低さを改めない限り、

仕事への絶望が結婚生活への絶望へと

変わるだけのことなのです。

自分のことしか考えない。

全体のことに目が行かない。

あらゆることに対して自信が持てない。

こうした現象は

責任を持たされずに教育されてきたこと、

親や教師たちから”女であること”

以上の期待をされずに

教育されてきたことと切っても

り離せないのです。

小学・中学・高校といった大事な時期に

家庭内や教育現場で親や教師たちが

男子にきつく叱って女子には然るべく

注意をせずに穏便に済ますことが

あるとすれば、それは女子を馬鹿に

しているのと同じことなのです。

責任を引き受けることなしに

人は私的な存在と公的な存在を

使い分ける訓練を積むことはできないし、

公的な存在感を発揮できなかったら、

人は自らの存在感や価値を感じる

ことができないからです。

ですから、私はクライアントに

よっては時折、婚活のことはいいから、

仕事に目を向けてください

とアドバイスすることがあります。

あまりにも自己評価が低く、

あまりにも社会に対して無関心で、

公的な視点を持たずに生きている人が

そのままの状態で結婚しても

その先に絶望が待っている

だけだからです。

責任を持つこと、自分の役割を

自ら任じることはあなたを縛り付けて

あなたの可能性を閉ざすことではなくて、

むしろあなたの可能性を広げることなのです。

岩熊権造

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