「私の職場では無駄な会議ばかりだ」と言ったら、
「そりゃ、うちもだよ」と思う人は多いのではない
でしょうか。
でしょうか。
まぁ、当たり前だと思うんですよね。
そもそもほとんどの職場では会議の目的を
「会社としてなすべきことをみんなの意見を
出し合って考える」
出し合って考える」
ってところに置いてますから。
会議の出席者の全員の気分をノセるなんて
ことはこれっぽっちも考えていないわけです。
ことはこれっぽっちも考えていないわけです。
みんなの感情のリズムを読み取って
ノリノリな方向へ持って行くなんてことを目的
にした会議は聞いたことがないです。
にした会議は聞いたことがないです。
でも、一番大事なことはそこだと思う
んですけどね。
んですけどね。
そもそもやりたくないことをいかにやるべきか
を討議して、しかも会議で決定したことは
全員に徹底させるなんてことをしてたら、
そりゃ生産性は上がらないですよ。
無理な期限を決めて、圧力をかけて、
気合と根性で乗り切ろうとしたって、気持ちの
流れを無視して決めたことはモノに
ならないんです。
気合と根性で乗り切ろうとしたって、気持ちの
流れを無視して決めたことはモノに
ならないんです。
そういうことをしても、いかにも間に合わせな
お粗末な代物ができるだけ。
お粗末な代物ができるだけ。
「苦行に耐えるのが仕事だ」というヘンな
先入観を一度どこかへ置き去った会議を
提案してみるのもいいんじゃないですか。
先入観を一度どこかへ置き去った会議を
提案してみるのもいいんじゃないですか。
例えば
「やらなくていいことを決める会議」なんて
ものがあってもいいですよね。
ものがあってもいいですよね。
それと、
慎重な人は決して決定事項の差し戻しが
慎重な人は決して決定事項の差し戻しが
起こらないようにあらゆる根回しを
しようとしますが、そんなことはそもそも
人間の思考パターンに合わないから
やめたほうがいいと思います。
しようとしますが、そんなことはそもそも
人間の思考パターンに合わないから
やめたほうがいいと思います。
会議の決定事項はどうしても、
差し戻るものなんです。
なにしろ、
会議に臨む前の人達の頭の中にある
前提が討議の中ですっかり変わってしまう
ことなんて往々にしてあるわけです。
前提が討議の中ですっかり変わってしまう
ことなんて往々にしてあるわけです。
前提が変わってしまえば
そもそも会議をする前提まで変わって
しまうこともあるわけで、それはつまり元々
会議をする必要がなかったことを討議
しようとしていたわけなんですが、
しまうこともあるわけで、それはつまり元々
会議をする必要がなかったことを討議
しようとしていたわけなんですが、
しかしそれがわかったのは会議を
してみたからなんです。
してみたからなんです。
よくわかんなくなってきましたが(笑)、
要するに人間の思考の練り上げは
直線的に進まず、
直線的に進まず、
テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼという
弁証法的段階を踏んで、螺旋を描くよう
にしか上っていけないのです。
にしか上っていけないのです。
ですから、会議の決定事項を絶対遵守させる
なんてことはナンセンスだし、差し戻しを
許さないのは不健全なのです。
許さないのは不健全なのです。
会議の差し戻しはいかにも効率悪く見えますが、
それでもしょうもない会議の、しょうもない
決定事項に何百、何千の人が動かされる
ような事態に比べたらマシではないですか。
決定事項に何百、何千の人が動かされる
ような事態に比べたらマシではないですか。
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