他人との比較でしか幸せを感じない人

世の中には、他人と自分を比較し、
その比較で優れていることを自分の幸せと
勘違いするタイプの人がいる。
私がこのブログの読者であるあなたにお願いしたいのは、
この手の人間とあなた自身とを比較して、
張り合おうとしたり悲観したりしないで
いただきたいということだ。
具体的には、以下のような特徴を持った人間の事だ。
● 学業はどちらかと言えば優秀。
● 言われたことをこなすのは得意。資格試験の勉強なども得意。
● 発言がいつも「上から目線」。
● 自分が所属している組織(会社・学校など)の力を自分の力と勘違いして威張る。
● 権威に弱く、有名な人が認めたものでないと価値がないと思い込み、小馬鹿にする。
● 人間の価値をその人の所属組織や年収でばかり判断しようとする。
● 結婚すると夫の会社の大きさをさも自分の功績であるかのように自慢する。
● 友人関係においても自分より「上」の人間か「下」の人間であるかという序列をつけている。
  「上」には苦手意識をもち、「下」の人間とばかり付き合おうとする。
このような人物を今、私は勝手に
「過剰社会適合気質」と名付ける。
社会に適合することばかりにこだわり、
自分の適合具合を常に気にかけ、
自慢してはばからない人だからだ。
なぜ、このような「過剰社会適合気質」の人物と
あなた自信を比較してはならないのか―――。
それは、こういう人と張り合おうとすることで、
あなたも少なからずこういう人間の考え方に
毒されてしまうからだ。
そして、こういう考えに染まることは、
あなたという人間の自我を失うことでもあるのだ。
その説明のために、これ以後やや抽象的ではあるが、
大切なことを書いていく。
どうか心して読み進まれたい。
我々大人の人間は、
自分の力で食べていかなければならないから、
少なくとも最低限の生活が出来るだけの
稼ぎを生み出す程度には社会適合性が
なくてはならない。
学校での成績が良いとか、
大企業の社員として働いていることなどは、
一面においては社会適合性が高いということでもある。
しかし、人間は社会に適合しているだけでは
本当に幸せとは感じられないのだ。
なぜならそれは社会(他人)が「良し」とするものを
実行しているだけであって、
あなた自身が「良し」としているものではないからだ。
あなた自身が心の底からやりたいと思えることを
やらなければ、決して幸せとは感じられない。
社会に適合し、食い扶持を稼ぐのと同じ位に、
あなたのやりたいことをやって心を満たしていくことが
重要なのである。
このことは幸せな人生を送るためには車の両輪のように
どちらも欠けてはならないものなのだ。
社会に適合し、優秀だと認められることが直ちに
あなたの幸せとなるわけではない。
それだけでは社会のロボットだ。
使役されておしまいだ。
幸せな人生を送るためには、社会に適合しつつも
あなたの自己実現を果たさなければならないのだ。
「自己実現」を難しく考える必要はない。
自分の心に正直に生きればいいだけだ。
例えば、会いたくない人に会おうと言われても、
会わなくていいのだ。
あなたの食い扶持に影響しないのであれば。
それがかつての親友であろうと
親戚であろうと同じことだ。
つまらない話をする知り合いがいたら、
愛想笑いなどしなくていいのだ。
思い切りつまらなそうにしてやればいい。
食い扶持に影響しないのであれば。
そうやって自分の心に正直に生きることで、
「~しなければならない」という思いで
がんじがらめになっていた心がどんどん解放されていく。
自分にとって不愉快な人間は去り、
自分によく似た、心地よい人たちだけが残される。
なんと素晴らしいことではないか。
それに比べたら、友達の人数が多いことなど
なんの価値があるのだろうか。
さて、冒頭の「過剰社会適合気質」の人たちは、
こうした自己実現と遠い場所にいる存在である。
こういう人たちとあなたを比較する必要がないことは、
もう述べた通りだ。
さらに言えば、こういう人たちと交際する必要は全くない。
あなたの人生を損なうだけだ。
社会への過剰適合の先には、
幸せなどないのだから。

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